恋愛ウォッチャーが現場で見てきた恋愛模様から、『うまくいく恋』を分析するブログ

これまでに5,000組以上のマッチングをしてきた経験を持つ恋愛ウォッチャーのあんりさ。 幾多の男女の出会いを間近で見てきた筆者が、イマドキ男女の生態の違いや恋愛事情をお届け。

どうして美人じゃいけないの?「妻はアクセサリー」として重宝された時代から、「美人は悪」のルーツを探る。

 

美人は非難され、面喰いもまた非難される。

男も女も、見た目の整っている美人は好きなはずなのに、
なぜか美人は非難される。

一般に、面喰いは愚かな性癖だと非難されるケースが多い。
昔の作家は、面喰いに関してこんなふうに述べている。

 


  見せかけだけの男は、見せかけだけのパートナーを欲しがるのだ。(小池真理子『知的悪女のすすめ』1981年)

 

 

よく「魅力とは人より……秀れた美貌のこと」だと思っている女性が多いようだが、それは違う。
  

       少なくともある程度以上のレベルの知性を持った男たちが感ずる魅力は違う……
  知的なレベルの高い人間は、ものの美醜を一元的には見ないものだ。
  例えば女性の美醜ということでも、ただ単に官能的な見方ばかりしない。(畑山博『いい女・いい出逢い』1984年)

 

 

『美人論』を書いた井上章一は、これらを書いた作家たちが一概に
「面喰いの男は、たかが知れている。知性のレベルが低い。」という評価をしていると指摘する。

 

ひどい言われようである。なんとも独善的な見方だ。
実際に、面喰いと知性の因果関係は何も照明はされていないのにも関わらず。

 

この傾向は、実は現代にも合致する。
例えば、「トロフィーワイフ」。

社会的な成功を収めた男が、若くて美しく、周りから羨望を得るために結婚する妻のことだ。

女性誌などでは、「トロフィーワイフの特徴」という記事が組まれたりなどするが、
「トロフィーワイフ」自体が揶揄されることもある。

 

若くて美人な女と結婚した男は知性が低い、節操がないのような言い方をされることも。

 

美人の方が評価が高く、世渡りもしやすい。
それゆえに美人になろうとしている女たちが数多存在しているにも拘らず、

なぜ美人と結婚したり、美人であることが非難されるのだろうか。

日本の歴史を紐解くと、そのヒントが見えてくる。

 


大昔に話が遡るが、かつての日本の上流社会は、妻の容姿をあまり重視しない傾向にあった。

結婚の目的が「家・血筋の存続」にあったため、何よりも家柄が重視された。

そもそも、結婚自体も当人ではなく親や後見人などのそれに当たる親族が決定している。

例えば江戸時代。上流社会といえば、中流以上の武家豪農、豪商など。

特に武家の場合は、結婚前に相手の顔を見るということはなかった。

 


それが変わったのは明治時代。欧米文化が入り、文明開化が幕を開けた頃のこと。

それまで、上流階級の人間たちは夫婦同伴で社交をすることはまずなかった。

特に、公式的な社交は夫である男の仕事であった。

 


しかし、西洋の先進諸国では、夫婦同伴の社交生活がすでに定着していた。

西洋文化流入とともに、夫婦同伴の社交生活は日本の上流社会にも広がる。

パーティーの席に素人の女(妻や娘など)が顔を出すという風俗を、

日本の武士たちは欧米との外交を通じて知っていくのだ。

 

 

ところが、日本の妻たちも表に出なければならない。

以前は人目につかなかった容姿の優劣も晒されることになる。

美人妻を持っている男は、それだけで虚栄心が満たされるようになるのだ。

 

妻や娘も、人前に出さねばならない時代になってきたということ。

井上は、明治の政治家たちが妻の容姿にこだわった理由の1つだろうとしている。

 


ところが、この時代の妻たちは人前で振舞う社交術を身につけていない。

トレーニングを受けていないのだから当然だ。

ここで、この時代(1800年代後半)において、社交術を身につけていた女が活躍をする

のである。

 


いうまでもない。芸者たちである。

彼女たちは、それまでの宴席を支えていた影の立役者。

 

夫婦同伴という欧米風の社交を日本に導入するとなると、

社交術の長けた女、すなわち芸者を妻にするのは好都合。

明治の元勲たちが芸者を正妻にし出したのも、このためではないか、と井上。

 

こうして、芸者は上流社会に入り込むようになってきた。

結果的に、彼女たちが日本の社交界を支えるようになっていく。

 


ところが、面白くないのは名家の娘たちだ。

イギリス外交官ヒュー・フレイザーの妻であるメアリーは、

芸者出身の妻たちの社交術を褒める一方で、こういうことも書き留めている。

 

ゲイシャの中には、貴顕の士と結婚した者も多く、私の知っている人たちは高貴の女性たちからは冷ややかに見られている。

 

明治の上流社会では、芸者出身の妻は少数派だった。

貴族の娘や大名の娘という女の方が多かった。

いわゆる由緒ただしき女たちの方が大勢を占めていたのだが、

彼女たちは芸者上がりの妻に対して、不快感を抱いた。

 

必ずしも美しいとは言えない名家の娘や妻たちよりも、容姿や社交術という意味では長

けていた芸者妻。

数的には多い由緒正しい女たちは、どこの馬の骨ともわからない身分の女が、

自分たちのコミュニティに入ってくるのが許せなかったのは容易に想像がつく。


江戸時代から女大学では、容姿より心だと説いていた。
これが、明治時代により苛烈になる。

今でいう道徳の授業に近い「修身」の教科書では、「美人排斥論」「醜婦奨励論」が書かれていた。
これには、

 

・美人は見た目は良いがそれに奢るため、最終的には不幸になる
・ブスは見た目以外のところで精進するので、最終的には幸福になる。
・美人は男が放っておかないので結婚するときには疵物になっているが、ブスは清らかなままである。
・美人はバカで、ブスは知的

 

だの、まあ結構なことが書かれているのだ。

 

名家の娘たちは、「(殊に芸者の)美人は悪だ」という教育を受けることによって、
社交の場でのアイデンティティを確立していたのではないか。

 


現代においても、例えば頭が格段に良いブスと、頭は良くないが美人という女の対比を

するとイメージがつきやすい。

 

頭の良いブス(其れなりに家柄もよかったりする)は、頭のよくない美人を軽蔑する。

大なり小なりこういった場面は目にする。

 

トロフィーワイフもしかり、美人がハイスペ男子(家柄は不問)などと結婚したりすると男女ともに、少なからず妬みの気持ちが起こるのは、今も昔も変わらないのかもしれない。

 

 
 
 
 
 
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